「昔の自分ならもっとできたのに」や「前はこんなことで悩まなかった」を聞いたことがあります。また、「過去の失敗が頭から離れない」「あの頃の自分に戻りたい」も聞いたことがあります。そして、こんなふうに、“過去の自分”に縛られて苦しくなる瞬間はありませんか。本当は今の自分を大切にしたいのは十分にわかっています。しかし、気づけば「過去の成功」「過去の失敗」「過去の評価」に心を支配されています。そして、前に進めなくなることがあります。また、こうした感覚は、多くの人が経験するものです。そして、本当は“今の自分”を大切にしたいのに、気づけば過去の自分と比較して落ち込んだり、昔の評価に縛られて行動できなくなったりする。
しかし、これは意志の弱さでも性格の問題でもありません。脳には、「過去の記憶を“自分そのもの”だと錯覚するクセ」があり、その仕組みが“今の自分”を見えにくくしてしまうのです。そこで、人はなぜ、過去の自分に縛られてしまうのかについて注目することにしました。
このブログでは、過去の自分に縛られてしまう要因、対応策、その際の脳の動きについて調べましたので以下に説明します。
“過去の自分”に縛られる要因
記憶は“事実”ではなく“物語”として保存される
まず、押さえておきたいのは、記憶は「事実の保存」ではなく「物語の再構成」だということです。脳科学では、記憶は保存されるたびに書き換えられることが分かっています。これは「再固定化(reconsolidation)」と呼ばれ、記憶は取り出されるたびに編集され、再び保存される。これに関係する内容は過去のブログで取り上げています。記憶は嘘をつく。なぜ脳は勝手に『自分に都合いい物語』を作るのか?
つまり、あなたが覚えている“過去の自分”は、その時の感情・状況・価値観によって再構成された“物語”になります。たとえば、「落ち込んでいるときは、過去の失敗が強調される」、「自信があるときは、過去の成功が美化される」、「他人と比較しているときは、過去の自分が理想化される」等です。そして、このように、記憶は常に“今の自分”に影響されて変化しています。にもかかわらず、私たちはその記憶を「事実」だと信じてしまいます。ここに、過去に縛られる第一の原因があります。
脳は「変化」を嫌い、“過去の自分=今の自分”とみなす
次に重要なのが、脳の“省エネ戦略”です。脳は変化を嫌います。それは、新しい行動、新しい価値観、新しい自己像を作るにはエネルギーが必要だからです。そのため、脳は、「過去の自分=今の自分」だとみなしたほうが楽ということになります。つまり、「昔の成功体験にしがみつく」、「過去の失敗を“自分の本質”だと思い込む」、「昔の評価を基準に行動してしまう」等の行動です。これらはすべて、脳が変化を避けようとする自然な反応ということになります。つまり、過去に縛られるのは、脳があなたを守ろうとしている結果でもあります。
感情の強い記憶ほど“自分の本質”のように感じられる
扁桃体は、感情の強い出来事を優先的に記憶します。そのため、大きな成功、深い失敗、強い後悔、恥ずかしい経験などは、記憶の中で特別扱いされます。そして、脳は、「強い感情を伴った記憶=自分の本質」 と錯覚しやすくなります。たとえば、一度の失敗が「自分はダメな人間だ」という自己像につながったり、一度の成功が「昔の自分こそ本当の自分だ」という幻想を生んだりします。しかし、これは脳のバイアスであり、あなたの本質ではないことになります。
SNSと比較社会が“過去の自分”をさらに歪める
現代では、SNSが自己像に大きな影響を与えています。例えば、「他人の成功が常に目に入る」、「”昔のほうが輝いていた”と感じやすい」、「現在の自分が見えにくくなる」などです。そして、この状態では、「過去の自分」だけが鮮明に見え、今の自分がぼやけるという現象が起きます。心理学ではこれを自己概念の曖昧化と呼び、ストレスや不安の増加と関連しています。
対応策:過去から自由になるための心理学的アプローチ
「今の自分」を言語化する
過去に縛られる人の多くは、現在の価値観・強み・興味が言語化されていない状態にあります。そのため以下のようなことを言葉にするだけで、脳は「今の自分」を認識しやすくなり、過去の影響力が弱まります。
- 今の自分は何を大切にしているのか
- 何に興味があるのか
- どんな生き方を望んでいるのか
過去の記憶を“事実”ではなく“物語”として扱う
「これは事実ではなく、当時の自分が作った物語なんだ」と意識するだけで、記憶の支配力は大きく下がります。心理療法でも、記憶の再解釈(reappraisal) は非常に効果的な手法です。
未来の自己像を“仮置き”する
未来の自分を完璧に描く必要はありません。むしろ、「仮の未来像」を置くだけで脳は前に進みやすくなる ことが分かっています。例えば、以下のような事柄です。そして、未来の方向性が少しでも見えると、脳は「過去より未来」を参照するようになります。
- 半年後の自分はどうありたいか
- どんな生活をしていたら嬉しいか
- どんな価値観で生きていたいか
脳の動き:通常の状態から「過去に縛られる状態」になるまでの
通常状態:前頭前皮質が現在の情報を処理している
通常の状態では、前頭前皮質(PFC) が中心となり、今の状況を判断する、目の前のタスクに集中する、感情をコントロールするといった“現在志向の処理”を行っています。この段階では、過去の記憶は特に強く活性化していません。
きっかけ刺激が入る:過去の記憶が呼び起こされる
次に、ある刺激が入ります。例えば、SNSで他人の成功を見る、昔の友人の近況を知る、過去の自分を思い出すような出来事が起きる、仕事でうまくいかない、疲れている・ストレスがあるなどです。そして、こうした刺激が入ると、海馬(記憶の中枢) が反応し、関連する過去の記憶を検索し始めます。つまり、ここで重要なのは、海馬は“事実”ではなく“意味づけされた記憶”を引っ張ってくるという点です。
扁桃体が反応し、感情の強い記憶が優先される
海馬が記憶を呼び出すと、扁桃体(感情の司令塔) がその記憶に“感情の重み”をつけます。なお、扁桃体は、恥ずかしい経験、大きな成功、深い後悔、強い怒り、不安を伴う出来事など、感情の強い記憶を優先的に活性化させます。そして、その結果、過去の一部だけが強調されて思い出されるという偏りが生まれます。
デフォルトモードネットワークが活性化し、内省モードに入る
感情の強い記憶が呼び起こされると、脳は“内側の世界”に意識を向け始めます。ここで働くのが、デフォルトモードネットワーク(DMN) です。なお、DMNは、過去の振り返り、自己反省、他者との比較、「もしあの時…」という思考を担当するネットワークです。そして、DMNが強く働くと、「過去の自分」への意識が一気に強まる状態になります。
DMNが過剰に働くと、前頭前皮質の“現在処理”が弱まる
DMNが活性化すると、前頭前皮質(現在の判断・合理的思考) の活動が弱まります。その結果、
- 今の自分の状況が見えにくくなる
- 現在の能力や価値を正しく評価できなくなる
- 過去の記憶が“事実”のように感じられる
という状態に入ります。つまり、「過去の自分」だけが鮮明に見え、「今の自分」がぼやけるようになります。
自己概念ネットワークが“過去の自己像”を参照し始める
脳には、自己概念(self-concept)を司るネットワークがあります。ここが参照する情報は、過去の経験、他者からの評価、自分が信じている“自分像”などです。そして、DMNが強く働いている状態では、この自己概念ネットワークが「過去の自分こそ本当の自分だ」 という誤った参照を行いやすくなります。その結果、以下のような錯覚が生まれます。
- 昔の成功が“本来の自分”に感じられる
- 昔の失敗が“自分の本質”に感じられる
- 過去の評価が“今の自分の価値”に感じられる
「過去の自分」が“現在の自分”を上書きする
ここまでのプロセスが積み重なると、過去の記憶(再構成された物語)、感情の強い記憶の偏り、DMNの過剰活性、自己概念ネットワークの誤参照が合わさります。そして、「過去の自分に縛られた状態」 が完成します。この状態では、今の自分を正しく評価できない、過去の基準で自分を判断してしまう、過去の失敗や成功が“自分の本質”に感じられる、行動が制限されるといった現象が起きます。
内容の整理とまとめ
内容の整理
ここまで、過去の自分に縛られてしまう要因、対応策、その際の脳の動きについて調べましたので以下に説明しました。まず、要因について、記憶は“事実”ではなく“物語”として保存される、脳は「変化」を嫌い、“過去の自分=今の自分”とみなす、感情の強い記憶ほど“自分の本質”のように感じられる、SNSと比較社会が“過去の自分”をさらに歪めるを説明しました。次に、対応策について、「今の自分」を言語化する、過去の記憶を“事実”ではなく“物語”として扱う、未来の自己像を“仮置き”するを説明しました。
最後に、その際の脳の動きについて、通常状態、きっかけ刺激が入る、扁桃体が反応し、感情の強い記憶が優先される、デフォルトモードネットワークが活性化し、内省モードに入る、DMNが過剰に働くと、前頭前皮質の“現在処理”が弱まる、自己概念ネットワークが“過去の自己像”を参照し始めるを説明しました。
まず、過去に縛られるのは、意志の弱さではなく、脳の自然な働きでした。そして、過去の自分は脳が再構成した“物語”であり、今のあなたを規定するものではありません。また、あなたを形作るのは、過去ではなく、「今、何を大切にして生きるか」が重要になります。そして、過去はあなたを縛る鎖ではなく、未来へのベースで以下に発展させるかを考えることが重要な気がしました。
まとめ
記憶がハードディスクのように記録されるものでなく、再構成されることは以前のブログで触れました。(記憶は嘘をつく。なぜ脳は勝手に『自分に都合いい物語』を作るのか?)つまり、過去の記憶がそのまま自分がやってきたこととは異なる可能性があるという一面があります。
また、「昔の自分ならもっとできたのに」、「前はこんなことで悩まなかった」などは、今そのことをしようとして「できなかったとき」に思い浮かびます。しかし、「過去の失敗」を思い出す時は、何かをしようとした時、つまり、「する前」に思い出すことが多いと思われます。する前は、扁桃体が生存するための本能として思い起こすもので、「同じ過去のこと」ですが、思い出す状況が異なるような気がしました。

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