多数決をした時、多数側に入っているとなぜかか安心してしまうことがあります。まず、会議などで、自分の意見よりも多数派に合わせてしまうということがあります。そして、少数派に入った時何故か不安になったりします。クイズなどでは覿面に現れます。少数派に入ると間違っていると思い不安になり、多数派に入ると回答はあっていると思い安心します。また、食事などで店に入った時、周りを見たり、他の人が注文をしているのを聞いて、多くの人が注文しているものを頼んでしまうことがあります。このように、なぜ私たちは、多数派にいると安心するのでしょうか?この心理について以下に説明します。
安心する心理
進化的な生存戦略:生き残るための本能
太古の人類は、単独で行動すると捕食者や敵から身を守れませんでした。そのため、人類の歴史を振り返ると、「群れから離れること」は危険と直結していました。そこで、「群れと一緒にいること」=「生き延びる確率が上がる」という環境で進化しました。そして。多数派に属することが、命を守るための最もシンプルな方法となっていました。
社会的証明の効果:“みんながやっている”は正しい?
心理学者ロバート・チャルディーニが提唱した社会的証明と呼ばれる現象があります。それは、人は「他の多くの人がしていること=正しい」と判断しやすいという思考の近道(ヒューリスティック)です。そして、多数派に従うことで「自分の判断が間違っていない」という確信が得られ、心理的負担が減ります。また、この原理は、広告の「売上No.1」「○万人が愛用!」というキャッチコピーでもよく使われています。これにより、これを購入しても、自分の判断は間違っていないという確信を持ちます。
孤立回避の本能:孤立は怖い
人間は社会的動物であり、孤立は心理的にも生物学的にもストレスになります。そのため、人間は本能的に孤立を避けます。また、仲間がいない状況は、太古の時代なら死活問題でした。それは、進化の過程で、孤立は生存リスク(食料の確保・敵からの防御の難しさ)を意味してきたためです。その結果、「孤立しない=安心」というプログラムが脳に組み込まれています。これは、現代でも、孤立は強いストレスや不安を引き起こします。そして、多数派に属することは、その孤立リスクを回避する安心材料になります。
責任の分散:間違っても怖くない?
多数派では間違っていても「みんなも同じだった」という言い訳が可能になります。これにより、責任や不安が軽減されます。これを責任分散の効果と呼んでいます。そして、この心理的な保険が、無意識のうちに安心感を与えています。
多数派の安心感が危険になるケース
- 全員が同じ方向を向くことで間違いが拡大する(集団思考)
- 例:企業の重大な判断ミス、バブル経済、歴史的な戦争判断
- 危険を見過ごす
- 例:周囲が避難していないからと避難しない → 災害時の逃げ遅れ
- 社会的圧力による沈黙
- 例:問題を知っていても「空気を壊すのが怖い」ため発言しない
多数派の中にいると、批判的思考が弱まり「みんながやっているから大丈夫」という誤った安心感に支配されやすくなります。
少数派として動くための心理的コツ
多数派の流れに逆らうのは勇気が要りますが、工夫次第で行動しやすくなります。
- 自分の判断基準を明確にする
- “多数派だから”ではなく“価値観や目的に沿って”選ぶ習慣を持つと、流されにくくなりま
- 事前に情報を集めて裏付けを持つ
- 感情ではなくデータや根拠を味方につけると、自信を持って発言できます。
- 同じ意見の仲間を一人でも見つける
- 完全な孤立より、少数でも味方がいれば心理的負担が軽減されます。
- 意見を否定形ではなく提案形で出す
- 「それは違う」ではなく「こんな選択肢もあります」という形にすると受け入れられやすいです。
まとめ
「なぜ人は『多数派』に安心するのか?」について、この心理について、進化的な生存戦略、社会的証明の効果、孤立回避の本能、責任の分散の4つの要因を説明しました。生存するための本能の部分が影響している部分もあり説得力がありました。また、多数派になることが危険な場合や少数派として動くためのコツについても説明しました。しかし、わかってはいても実行できるかどうかについては不安が残るところです。
このように、多数派に属することは、進化の過程で身についた安心の仕組みです。しかし、時にはその安心感が判断を鈍らせることもあります。大切なのは、「多数派だから正しい」と無条件に信じるのではなく、自分の目で見て、考えて、選ぶ力を持ち続けることと考えられます。安心感と批判的思考、その両方を持って生きることが、より安全で豊かな選択につながると思われます。
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